上杉VS織田

歴史上のライバルとして、上杉謙信と織田信長は筆頭に挙げられるだろう。

天正4年(1576年)には毛利氏のもとに身を寄せていた足利義昭が反信長勢力を迎合し、同年5月頃からは義昭の仲介で甲斐武田氏・相模後北条氏との甲相越一和が試みられており、このころ謙信は織田信長との戦いで苦境に立たされていた本願寺顕如と和睦し、これによって信長との同盟は破綻した。前年に信長は本願寺を攻撃、さらに越前国に侵攻したため、顕如と越前の一向宗徒は謙信に援助を求めていた。顕如は謙信を悩ませ続けていた一向一揆の指導者であり、これにより上洛への道が開けた。

甲相越一和は成立しなかったが、信長包囲網が築き上げられたのである。10月には足利義昭から信長討伐を求められており、謙信は上洛を急ぐことになる。なお、この時期、織田信長は朝廷から内大臣次に右大臣に任命されており、朝敵になったわけでもなく、単に足利幕府(足利将軍家)との武家同士の紛争に過ぎない。