遺恨

若貴に限らず、兄弟の遺恨が後々まで続くケースがある。

当時13歳だった義朝(よしとも)の三男は伊豆・蛭ヶ小島(ひるがこじま)へ流刑に処され。腹違いで2歳の弟は、母が清盛の妾となる事で命を救われる。成長した二人は、打倒平家に立ち上がる。源氏の棟梁(とうりょう)であり、鎌倉幕府を創設した天才政治家。源頼朝。

その兄を助け、奇抜な戦略で次々と平家を打ち破ったのは、源義経。二人は共に力を合わせ、平家と戦った。が…連戦連勝し、得意になった義経は、棟梁である頼朝の許可なく、勝手に朝廷(ちょうてい)から官位(かんい)をもらってしまう。亀裂が入る二人の仲…義経の活躍で、ついに平家を滅ぼした源氏軍。そして…頼朝は、武家政権設立のため、義経に対して重い決断をする。追いつめられた義経は兄の誤解を解こうと、一通の手紙を出す。しかし、その思いは頼朝には届かず、ついに兄弟は互いを殺しあう「ライバル」となってしまう。